とくしま建物再発見22「常磐旅館

年月を重ねていい顔に

徳島新聞(2002年1月26日)より

 

 JR蔵本駅のすぐ南手に純木造三階建ての常磐旅館がある。今、地球環境や健康面から「木造」が建築のキーワードになっているが、明治後期から大正、そして昭和初期にかけて、木造3階建ての建物がかなり建てられてきた。戦災を免れたここ蔵本町にも、この建物以外に3棟も残っている。

 今、都会では敷地の有効利用の面から木造3階建て住宅が小さなブームになっているが、戦後に建築基準法ができてから、木造3階建て禁止の時期が長く続いた。昭和62年の法改正で、構造計算の裏付けなど一定の技術基準を満たせば建てられることができるようになったが、そのような時代の流れの中で、この3階客室は開かずの部屋になった。

 この旅館は交差点の一角にあり、北と西の2面が街に面している。大正時代の建築とは思えないほど、維持管理の行き届いたさわやかな顔をしているが、木造は手を入れ続けることでより輝きが増すことを教えてくれているようだ。時代の変化に合わせて増改築や改修、修繕を繰り返してきた建物は「日用(ひよう)さん」という大工仕事をはじめ、何でもこなせる職人が支えてきた。今では死語になった「お抱え職人」である。建物や家主のことを知り尽くした職人が守り続けてきたからこそ、今も美しいのだ。維持管理には費用がかかるが、傷む前に手を入れることで費用は半減し、結果的に長持ちする。維持管理が少なくて済む材料を好む現代人の反省するところである。できた時が最も美しい建物は飽きも早くくる。年月を重ねるごとに愛情が湧く建築は材料選びから始まるのかも知れない。

 建築の構造には木造、鉄筋コンクリート造、そして鉄骨造があるが、それぞれに長所と短所がある。その素材の持っている良さを生かした建築が人に心地よさを与えているように思うが、朽ちれば朽ちるほど美しさを感じさせてくれる材料は自然素材にかなわない。木や土、石には人の心の奥深くに語りかけてくれる力があるように思える。

 傷んだところはつなぎ合わせたり差し替えのできる木造建築は、改修や増改築に向いている。しかし、その木にもまた一つひとつ、それぞれ性格や癖があり、それを見抜き、適材適所に使える職人の目と技が必要になる。20世紀は工業化による量産で材料は画一的になり、街の景観は奥行きを失ってしまった。今世紀は木造の良さ、自然素材を見直す時代である。

 常磐旅館は大正中期に生まれ、戦後、徳島大学医学生の下宿部屋への大改修など、かなりの増改築がなされてきた。社会状況に合わせ変わりながら生き続けてきたこの建物を見ていると、建築当時と違う姿に変わっていくことは悲しいことではなく、幾多の思い出と共にいい年寄りの顔になったという気がしてくる。 (富田眞二)

 

●メモ「常磐旅館」

徳島市蔵本町1-15。藤田成義氏所有。大正中期の建築。純木造3階建て。

 

▲常磐旅館の玄関。未来永劫を願った「常磐」の看板とガラスに

刻まれた「旅館」の文字が大正ロマンを漂わす。

▲3階に二つある部屋の一つ。建築基準法の改正で今は利用されていないが、その昔、

北ははるか吉野川の堤防や讃岐山脈が望めたという。

▲長屋を思い起こさせるような北面の長い外観。2階部分は戦後、徳島大学医学生の

下宿部屋として使われていた面影を残している。

※写真はすべて末澤弘太(徳島新聞社写真部)

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