日本建築学会四国支部50周年記念事業

調査研究「吉野川流域に残る石造文化」第一章その2の4より

伝統的石積み技法の見直しを

 

 石垣のある風景を見てふるさとを思い出す人は多い。それほど傾斜地の多い日本の地形は石垣を必要としてきた。距離にして、あの万里の長城よりも何十倍、いや何百倍もの長い石垣が全国いたるところで築かれた。築いては崩れ、崩れてはまた築きと、先人たちは重労働の中から石積み技術を身につけ、地域色豊かな石積み文化を築き上げてきた。

 

●日本の美、穴太(あのう)積み

 石積み文化の代表格は穴太積みであろう。これは織田信長が安土城築城(1576)の際に招聘した琵琶湖西岸に住む穴太の石工たちによって生み出された。力強さと優美さを併せ持つ風情に、日本人の美のこころが色濃く表れている。整然とした幾何学的な造形を嫌い、崩すことで人工物を自然に同化させる技法であろうか。布積み崩しといわれる穴太積みは、まさしく日本人の美意識が生み出した美の極致であろう。石積みのタブーといわれる巻石(まきいし)を敢えて取り込んだり、大小の自然石をほとんど加工せずに見立てて積み上げるには、長年の経験と腕前のほかに造形センスも求められたが、これらすべてを持ち併せた穴太の石工たちは、瞬く間に西日本に大きな足跡を残していった。

 

●吉野川流域の石造物調査から

 吉野川を遡れば、段々畑や棚田など庶民が築き造り上げた石積み文化に出会う。石を積んで家屋の敷地や棚田を造ることは家族を養い生きていく上で不可欠なことであり、当然のごとく庶民自らが築き上げてきた。それらの多くは、最も難しいとされる自然石の乱積みの築き方である。今でも山里に入ると、年配の方の中に何人かは自然石を空積みで器用に築ける人がいる。しかし、自らが造ることを止めたいま、人は石造物を郷愁の目でしか見ることができなくなった。戦後50年、私たちは何を得、何を無くしてきたのか。この調査はそんなことを考え直す機会でもあった。

 湿気の多い日本の風土では、建物は木造で造るのが常識であり、石積みの建物に出会うことはまずないが、今回、山里深い集落でその出会いがあった。民家の倉と神社である。美郷村(みさとそん)と木屋平村(こやだいらそん)の集落に残された二つ倉は、凛々しい姿で建っていた。自然石と向き合い積み上げた人の思いが、時を越えて伝わってきた。また、吉野川の支流、井内谷川(井川町)の山中には、野面(のづら)積みの神社が2棟残されていた。平たく割れる青石を積み上げた素朴な姿が、氏子たちの崇拝心が造り出したものであることを教えていた。

 建築に比べ、石は土木に多く用いられていた。吉野川流域沿いには河岸保護のための石積み護岸や水刎(みすはね)、農業用水確保のための川堰などを見ることができる。また、石垣や塀、井戸にと意識してみれば身近なところに幾らでもあった。石垣の中で特に目を引いたのが、荒々しさの中に造形美を感じさせる徳島城址の石垣と阿波石工の繊細な感性がほとばしる藍商屋敷の石垣である。そのほか、ドイツ捕虜が造った鳴門のドイツ橋やメガネ橋のアーチ橋、工芸細工を思わせる繊細な小石の練塀など、阿波の石積み文化の奥深さを感じた。

 

●価値観の見直しを

 石積みといっても最近では純粋なものはほとんど見られず、石積みのように見えても、実はその背後には必ずと言っていいほどコンクリートの擁壁が隠されている。これは構造計算にのらない石積みより、数値で安全が確認できるコンクリートを望んだためである。

 現在の建築基準では、構造力学上安全が確かめられないものは建築することができない。この考え方は石造物に限らず、木造建築にも悪影響を及ぼしている。構造計算にのらず、その安全性が確かめられないという理由で、自然石の独立基礎がコンクリートの布基礎へ、また貫が筋違いに取って変わられ、木造伝統構法は姿を消しつつある。

 私たちは建築物や石造物に対し、より機能的で安全なものを求めてきた。そしていま、社会は数値で表わす耐震性能を強く望んでいる。大震災に見舞われる度に基準法は改正され、来春からは本格的な「性能規定化」が施行されることになる。現代の価値観は未曾有の天災までも克服することをめざす。完璧でなければ許せないのだ。人としての道理を忘れ、自然を傷め続けてきたツケが、いま人類すべてにのし掛かっていることにさえ、気づかないでいるのだ。

 自然素材に完璧なものはない。短所もあれば長所もある。それが自然の摂理であろう。同じ材料でも同じ性質のものは一つとしてなく、その性質を見定め適材適所に使える目と腕がいる。伝統的石積みの多くはいまコンクリートの構築物に取って代わられているが、自然環境や景観面からも畏怖を感じる。

 重くて固い石。人はなぜ、この扱いにくい石と向き合い格闘し築き上げてきたのか。風雪に耐え凌いだ石ころたちが、コンクリート漬けの私たちに倫理の大切さを語りかけている。伝統的石積み技法の見直しは、完璧さを追い求めて止まない現代人の価値観の見直しに他ならない。(富田眞二)

≪CLOSE≫
≪富田建築設計室のホームページ≫